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2008年5月

Bye Bye Mumbai

本日午後11時45分のマレーシア航空で、日本に帰国します。

昨日は、事務所でインド人弁護士の同僚が送別のティーパーティーを開いてくれ、フェアウェルスピーチの後、皆が用意してくれたケーキをカットしました。

また、今月に入ってからは、多くの日本人駐在員の方に送別会を開いていただいたり、食事に誘っていただいたりと、お気遣いをいただきました。

辛いこと、苦しいと思うこともたくさんありましたが、得たものも大きく、ここに来て良かったと思います。

今の自分には返せるものがありませんが、せめて自分がインド滞在生活で得た法律の知識やインドに関する知識を日本に還元していくことで、インドと日本の両方に少しでも良い影響をもたらすことができればいいなと思っています。

お世話になった皆様、本当に、本当にありがとうございました。

必ずまた会いましょう。

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コックローチ・バトル7 -最後の聖戦-

-ええ、ちょうど28でした。
それ以上でもそれ以下でもありません。

そう言った後、男はしばらく目を閉じた。

思い出したくないもの。
思い出すべきもの。
その区別を付けかねたように…

--

Cockroach Battle

Final Episode

The Last Genocides

--

あれは夏も終盤に差し掛かった頃で、とても暑い日でした。
突然我々に撤退命令が下ったのです。

ええ、寝耳に水でしたよ。
それまで撤退なんて話は噂でさえ聞こえてこなかったんですから。

そのとき?
あまり深くは考えませんでしたね。
とにかく、「ああよかった、これで家に帰れる」と思いました。

政府や軍の上の方が何を考えているかは正直言ってわかりませんでしたし、下手に余計なことを考えても不安になるだけでいいことはありませんでした。

最前線にいるときは、何も考えずに、機械的に命令に従うのが一番です。
精神的に楽ですし、何よりそれが生き延びるための最善の方法です。
いつ敵が攻撃してくるかわからない状況で、戦争の大義について思索を深めることなど不可能ですし、そんなことをしていたら戦闘の際の判断が鈍ります
だいたい、軍の中で政治的なことを話しているのが上官にばれたら、その場で軍法会議にかけられてしまいますし。

-ああ、そうでしたね。
私が撤退中の本隊からはぐれてしまったときの話でしたね。

--

なぜ本隊からはぐれてしまったのかは、今でも思い出せないんです。
後から聞いたところでは、私は無線指示を完全に無視して、本隊の進行方向から北東に10度もずれた方向に向かっていたそうです。

なぜそんな方向に行ってしまったのか、今でもわかりません。
私自身は本隊と同じ方向に動いているつもりでした。
撤退命令を無視する理由もその必要も全くありませんでしたし。

ただ、今にして思えば、連日の戦闘で緊張が限界に来ていたところに、突然撤退命令がきたものだから、張り詰めていた何かが切れてしまっていたんでしょうね。
突然つっかえ棒が外れてしまったというか、今まで自分の意識を現実に繋ぎとめていた何かがふっと飛んでいってしまったというか。

一種の夢遊状態になってたんじゃないかと思います。
あくまでも今思えば、ということですが。

      

気がつくと、私はある村にいました。
その村は、既に友軍による毒物散布攻撃を受けていたようで、村人の多くは村を捨てて逃げ出してしまっていました

完全武装していた私が入っていっても、村人は何の反応も示しませんでした。
おそらく、反応できるような村人はとっくに逃げていて、後に残されたのは、毒で弱りきった者や家族を殺されて生きる気力を無くした者だけだったんでしょう。
これもそのときには気がつかなかったことですが。

村は怖いくらい静かでした。
逃げた村人は、運べる限りの荷物を外に持ち出したようで、村の中はほとんどがらんどうでした。
わずかに残されていたのは、粗末な段ボール箱でできた廃屋ばかりという状況で、その中に何人か生き延びた者がいるようでした。

私は、ある廃屋に入りました。
そこには、死体が一体転がっていました。
かなり前に死んだようで、死体は干からびていました。
おそらく、数ヶ月前の友軍の毒物散布攻撃のときに死んだものでしょう。

私は、また別の廃屋に入りました。
そこにも、死体が一体転がっていました。
さっきと違うのは、その近くに生きて、動いている者がいたことでした。

そのとき、私は、唐突に自分の使命を思い出したのです。

「この村の者で、自分が出会った者は全て殺す」

私は、正直言って、ここの村人の姿が好きではありませんでした。
見ると嫌悪感がするというのも、私が自分の使命を「思い出した」理由の1つかもしれません。

それに、そのような個人的な感情はともかくとして、戦争中である以上、自分は兵士としての義務を果たさなければならない。
強く、強く、そう思いました。

私は、おもむろに腰に差していた毒霧噴射器を手に取り、動いている者に吹き付けました。
動いている者は、最初に見た姿からは信じられないようなスピードで逃げようとしましたが、あっという間に絶命しました。

絶命を見届けた後、私は死体にも毒霧を噴射しました。
死んでいることはわかっていましたが、そうしなければならないような気がしたのです。
私は最初の廃屋に戻り、同じように、やはり死体に毒霧を噴射しました。

その後は、同じ作業の繰り返しでした。
廃屋を開け、生きている者がいれば毒霧を吹きつけ、死体らしきものについてもやはり同じように毒霧を吹き付けました。

私が毒霧を吹きつけた村人の数は28人。
うち生きていたのは12人だったと思います。

とにかく、私が、段ボール廃屋を開けたり、動かしたりする度に、生きた村人か死んだ村人かが出てきました。
その度ごとに、個人的嫌悪感と義務感に駆られて彼らを殺し続けました。
生きている者はもちろん、既に死んでいる者さえ「殺した」のです。

そうやって、「殺した」数が、合計で28になるというのは確かだと思います。
ちゃんと数を数えていましたから。
間違わないように、1人殺すたびに、腕に傷をつけて記録することにしたんです。
だから、ほら、私の左腕のここは傷だらけです。

うち、生きていたのが12人というのも確かだと思います。
生きているのを、文字通り「殺した」ときは、このとおり特別深い傷にしたんです。

--

無抵抗の市民を殺した?
軍法会議?

私は兵士として間違ったことはしていませんよ。
だってそれまでも全く同じことをしていたんですから。

民間人のふりをして我が軍にテロ攻撃をしかけてくるのが、この国の戦闘員の常套手段であることは、それこそ軍の上から下まで全員が知っていたことです。
だから、ここでは、民間人に見える者に対しても、兵士が自分の判断で危険だと判断したときには、「危険を排除する」という兵士の任務に従って、発砲できることになっていたんです。

え、軍はそんなこと認めていない?
そりゃあ、軍の上の方はそんな命令出しませんし、出せませんよ。

でも、これは断言できますが、この国で我が軍の兵士がさっき話したような基準に従って一見民間人に見える者に対しても攻撃していたのは、上官も把握していましたし、さらにその上の上官も全員知っていました。
つまり、黙認という状況だったわけです。

撤退中とはいえ、戦闘は継続中なのだから、同じ基準に従って判断すれば、私が危険だと思った場合にはには彼らを攻撃することができたはずです。

本当に危険だと思ったのかだって?
もちろん思いましたよ。
彼らは生きている限り危険なんです。
一見普通の民間人に見える者のテロ攻撃で、これまでに数え切れない被害を受けていますから。
そのことを知らないとは言わせませんよ。

もちろん、彼らに対する個人的な嫌悪感はありました。
でも、個人的な感情があろうがなかろうが、私は自分に課せられた危険排除任務の遂行として、彼ら全員を殺していたと思います。
個人的な感情が任務遂行の邪魔になったわけではなく、むしろ任務遂行を促進させたのであれば、そのことについてとやかく言われる筋合いはないんじゃないでしょうか。

--

戦争の狂気?

そうかもしれませんね。

でも、撤退命令が出る前に、私が同じことをしていたとしても、私の行為は問題にはなっていなかったはずなんです。
実際、同僚も同じようなことを何度もしていましたし、それを上官に報告して咎められたという話も聞いたことがありませんから。

それが、政府や軍上部の都合で撤退命令が出た瞬間に、なぜ問題視されるんでしょう。
撤退命令が出たとしても、戦闘は続いているんです。
こちらが撤退命令を出した瞬間、向こうも同じようにこちらに対する攻撃を停止してくれるはずだとでも言うんですか?
撤退命令というのは我々の側の都合であって、向こうには関係ないことですよ。

人権?
虐殺?

まあ、今となっては、政府も軍も「個人の暴走」という建前を崩せないんでしょうね。
いいですよ、軍法会議でも何でもかけて裁いてください。
私も、自分が全てを暴露することで、この国の地位が貶められてしまうことは望みません。

それに、確かに私は28の命を奪ったのです。
16については、「命を奪った」という表現が不正確であるとしても、少なくとも「殺した」のです。

それだけでなく、他にも、この戦争では数え切れないくらいたくさん殺しています。
裁かれて当然でしょう。

  

-ありがとう。

あなたが理解してくれただけで十分です。
でも、その理解をそのまま上司に報告するのはやめておいた方がいいでしょう。

--

さあ、行きましょうか。

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引越劇場

インドに来てから、困った出来事のほとんどについては「まあインドだから…」ということで自分を納得させていたのですが、今朝、どうにもこうにも「コラ、インド人」という出来事があったので、ウサ晴らしを兼ねて書きます。

--

先日お伝えしたとおり、私は5月末で帰国するのですが、部屋を引き払って海外引越で荷物を送るにあたり、ムンバイ駐在員仲間の紹介もあり、某日系企業に依頼することにしました。

当初は、インド出国日前日の5月30日に荷物をピックアップしにきてもらう予定だったのですが、それだと引越料金の計算が出国までに間に合わないということで、料金計算に必要なギリギリの日ということで、28日に荷物をピックアップしてもらうことになりました。
(料金はルピーで払うため、出国前の支払いが必要となります)

ピックアップの時間は、午後だと遅くなってしまうため、午前中半休をとることにして、午前9時半ということでお願いしました。

そう、それが今朝です。

--

今週は、諸案件の引継ぎ対応、日本でのセミナー準備、インド法調査が重なって、劇的に忙しく、昨日も午前3時過ぎまでオフィスにいました。
ようやく家に帰ってきたのは午前4時前。

ピックアップまであと5時間半しかないということで、さっさとシャワーを浴びて寝てしまいました。

朝、玄関の呼び鈴の音で目が覚めました。
ちゃんと9時前に目覚ましを設定したのに、どうやら寝過ごしてしまったようです。
あわてて着替え、玄関を開けると、荷物の集荷員らしき人が立っていました。

「荷物のピックアップに来た」、ということで、間違いないだろうとは思ったのですが、念のため名刺を出してもらいます。
インドでは、こういうときに「大丈夫だろう」という発想で行動してしまうと、大抵痛い目にあうためです

??

名刺には紹介を受けた日系企業とは全く違う会社名が書かれています。
この名前が、その日系企業の現地法人の名称なのか、それとも業務委託を受けた会社なのかよくわかりません。
とりあえず、電話で担当者の方に確認しようと思って携帯電話を見たところ、

午前7時半

と表示されています。

あわてて、カウンターに置いてあった腕時計を確認するも、同じ時刻です。
そう、明るくなっていたので気がつかなかったのですが、今は7時半ということです。

会社名に見覚えがない上、約束した時間とあまりにも違うことから、とにかく担当者に電話したのですが、繋がりません。
そりゃそうでしょう。
この時間ではまだ会社は開いていませんし、だいたい普通のインド人は寝ている時間です(インド人は朝が遅く、10時、11時出勤は当たり前です)。

とにかく、このままでは、この集荷員らしき人物に荷物を預けることはできません。
こういったときにインドで下手に預けて、後から違っていたということになると、荷物を取り返すことはほぼ不可能になってしまいます。

とりあえず、集荷員らしき人物と話そうとしたのですが、なんと英語が片言程度しかできず、ほとんどコミュニケーションが取れません。
担当者のインド人が英語堪能だったので油断していましたが、さすがに現場に来る作業員までは英語はできないということでしょう。

「担当者に連絡を取って確認しないと、荷物を持っていってもらうことはできない」と伝えようとするのですが、全く伝わりません。
しょうがないので、本来の約束の時間である9時半にもう一度来てもらおうと思い、Nine Thirty, Come, Again, OK? と連呼し、いったん帰らせることに。

集荷員らしき人物が無言だったので、嫌な予感がしたのですが、これ以上簡単な英語など話せません。
とりあえず、集荷員を外に出して、扉を閉めました。

※豆知識
何かを話しかけたときに、インド人が無言のままでいるときは、だいたい言われている内容を理解していません。
わからないなら「わからない」と言えばいいのに、無言のままうなずいたりすることから、たいていの日本人は、「わかっている」と勘違いして痛い目に合います

--

扉を閉めて少し落ち着くと、猛烈に眠くなってきました。

そりゃそうだ、今が7時半ということは、3時間くらいしか眠れていないということです。
睡眠時間が5時間ならどうにか活動可能ですが、さすがに3時間は厳しい。
ということで、9時半までもう一眠りすることに。

10分後

寝入りばなを、呼び鈴で起こされました。

ヤツだ。

半分眠った頭で直感します。

起きてもう一度説明しようかとも思ったのですが、Nine Thirty, Come, Again, OK? で通じなかった相手に、今さらいったい何ができるでしょうか。

無視することに決め、もう一度寝ることに集中します。

5分後。

また呼び鈴で目が覚めます。

この後、9時半まで延々5分おきに呼び鈴が鳴り続けました。

(途中眠っていた時間帯もあったので、ずっと鳴っていたかどうかはわかりませんが、前後の状況からして鳴っていたのだと思います。)

途中からは、「今起きて扉を開けたら負けだ」と、自分に言い聞かせて、眠ることに集中していました。

--

……

目覚ましの音で目が覚めました。

時計を見ると9時半。

呼び鈴攻撃にもかかわらず、どうやら少し眠れたようです。

その直後、またもや呼び鈴が。

時間になったということで、玄関に向かい、扉を開けます。

そこには、集荷員らしき人物が、2時間前と全く同じ姿で立っていました。

「仮に言葉が通じなかったとしても、いったん入れてもらった部屋から出された時点で、早すぎたと察せよ」とか

「なんで本社や上司に連絡取らないの」とか

「(確実に人が中にいるはずなのに)2時間呼び鈴を鳴らし続けて反応がないのを、どう受け止めていたんだ」とか

なんというか、頭がいいとか悪いとかそういう次元を超えて、インド人被支配階級3000年の思考を垣間見たような気がして恐ろしくなりました。

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ともあれ、9時半になったということで、さっそく依頼した日系企業の担当者に電話しました(色々考えて、インド人担当者と日本人担当者の2人のうちの日本人担当者に電話しました)。

どうやら、この人が集荷員で間違いないということで、ようやく荷物の集荷をはじめることができました。
その後はスムーズに話が進み、10時過ぎには集荷は完了して、必要書類も渡しました。

以下、私の疑問に対して担当者の方が語った、「集荷員が7時半に来た理由」です。

--

今回は、依頼者が日本人ということで、担当者の方は、集荷員に対して、「必ず時間どおりに行くように」と、きつく、きつく申し渡していたそうです。

インド人は激しく時間にルーズであり、大抵の日本人にとってはそれが不愉快であるということをわかった上での、日系企業ならではの社員教育でしょう。

ところが、時間厳守を言い渡された集荷員はおののいてしまい、「なんとしても時間前に到着しなければ」という思いが昂じて早く出発しすぎてしまい、予定時間の2時間も前に到着することになりました。

で、ここで「時間は後の方向だけではなく、前の方向に対しても守るもの」というごくごく当たり前のことを認識してもらえればよかったのですが、「早く着いたんだから早く行けばいいだろう」と思ったらしく、午前7時半の登場と相成ったようです。

なんというか、到着時刻の見積もりに2時間も誤差がでるとか、時間を前の方向に守ることが理解できないとかいうあたり、「ああ、この人たちには本当に時間を守るという概念がないんだなあ」と痛感します。

ある程度時間を守ることに慣れている人なら、いくらなんでも市内を移動するのに到着時刻に2時間も誤差は出ませんし、早く着いても30分前とか常識的な範囲の誤差になるまで現地で待つでしょう。
普段時間を守る習慣(というより概念)がないから、こういう極端なことになってしまうのです。

また、単純に時間を守る守らないという問題とは別に、朝7時半にアポなし(本来のアポは2時間後なので、事実上アポなし)で、引越しの応対をさせられる人がどういう気持ちになるかとか、一瞬たりとも考えなかったのだと思います。

片や、幼いころから、「時間は必ず守りなさい」と叩き込まれ、学校に遅刻でもしようものなら、担任に烈火のごとく怒られ、「時間を守らない奴は人間のクズだ」という勢いで罵倒される国で生まれ育った民族。幼いころから、「人の気持ちを考えなさい」と叩き込まれ、「思いやりのない人」が激しくネガティブに捉えられる国で生まれ育った民族。

果たして地球上で共存が可能なのかと、本気で悩むこの2時間余。

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オフィスマウス

先週金曜日のこと。

急ぎの仕事を上げるべく、周囲の同僚が次々と早めに帰宅する(金曜なので、遊びに行くのでしょう)のを横目に、夜遅くまで事務所に残っていました。
午後10時を過ぎたころには、私のデスクのあるゾーンにいるのは、私ともう1人だけという状況に。

しばらくすると、その1人も帰って、ゾーンにいるのは私1人になってしまいました。
節約のためか、私の周囲以外は電気が消されてしまい、ゾーン全体が薄暗くなっています。

午後11時を過ぎたころ、突然右隣の席から物音が。
右隣の人はとっくに帰っており、デスクには誰もいません。

2秒後、書類の隙間から大きなネズミが飛び出してきました。

事態が理解できず、呆然としている男を尻目に、ネズミは去っていきました。

「なんでオフィスにネズミが」とか
「どっから出てきたんだ」とか
「なんであんなにでかいんだ」とか
一瞬、心霊現象とかそっち系かと思ったじゃないか、この野郎」とか

の様々な想いを、「まあインドだからしょうがないか」という言葉でアウフヘーベンできてしまう今日このごろ。

--

(追記)

その後、何度か事務所に遅くまで残って仕事する機会がありました。

結論から言うと、このオフィス、ネズミだらけです。

これまで遭遇しなかったのは、単に彼らが夜行性で、私のオフィスにいる時間と彼らの活動時間と被らなかったからだけであるようです(今までは、遅くとも午後9時とか10時には帰っていたので)。

昨日も、3種類のネズミが次々に目の前に現れては去っていきました。

気づいたのが帰国直前で良かったです。
余計な心労を1つ増やしてしまうところでした。

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インド会社法解説その27 -会社備置書類-

インド会社法原文リンク
http://www.vakilno1.com/bareacts/companiesact/companiesacts.htm

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インド会社法およびその関連法令上、会社は、さまざまな書類を(主としてその登記上の所在地に)備置、保管しなければなりません。

恐ろしいのは、会社がこの義務に違反した場合、書類保管の責任者(取締役、会社秘書役等)に対して、(過料等の行政罰ではなく)罰金または懲役といった刑事罰が課される可能性があるところです。

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※ 書類備置義務違反に関するものだけではなく、インド会社法の特徴として、取締役その他の会社役員(officer)の義務について定める規定は、多くの場合義務違反があった場合の罰則も同時に定めており、手続違反を含むほとんどの義務違反のケースにおいて、取締役や会社秘書役等の役員個人に対して刑事罰が課される可能性があります。

日本の会社法では、手続違反の場合、行政罰としての過料が課されるだけであるのに対し(日本会社法976条参照)、インドの会社法では手続違反であっても刑事罰が課されることに注意する必要があります。

ちなみに、これらの罰則は、「義務を懈怠した役員(officer who is in default)」に対して課されるものとされていますが、どのような場合に「義務を懈怠した」と言えるかについては個々のケースごとに異なり、必ずしも明確な基準があるわけではありません。

もっとも、インド会社法5条は、懲役や罰金等の刑事罰処罰に際して、「義務を懈怠した役員」とみなされる者を規定しています。
同条によれば、マネージング・ディレクター(managing director)、常勤取締役(whole-time director)、マネージャー(manager)、会社秘書役(company secretary)その他一定の要件をみたす者については、会社による義務懈怠行為が生じた場合、「義務を懈怠した役員」とみなされ、実際にそれらの者がどのような行動をとっていたかにかかわらず、当該義務懈怠について責任がある者とみなされ、処罰対象となります。

そのため、現地法人や合弁会社において、マネージング・ディレクターや常勤取締役の地位にある者は、義務違反が生じた場合には、実際の勤務状況その他にかかわらず、「義務を懈怠した役員」として、個人として刑事訴追され、刑事罰を追及される可能性があることに、十分に注意する必要があります。

一方、これらに該当しない平取締役等の会社役員については、義務懈怠は擬制されず、刑事訴追を行う側が当該役員の義務懈怠を立証する必要があります。
この場合、訴追された取締役等は、違反行為が故意によるものではなかったこと、および違反を防止するために相当の注意を尽くしたことを立証できれば(必ずしも立証義務はないが、防御手段の1つとして立証できれば)、通常法的責任を問われることはありません。

--

以下では、会社がどのような事業を営んでいるかにかかわらず、インド会社法に基づいて一般的に備置が要求される書類について説明します。
もちろん、会社が営む事業によっては、当該事業を規律する法令(いわゆる業法その他の規制法)により、さらに他の書類の備置、保管義務が課せられている可能性もあるので注意が必要です。
 
ちなみに、書類のうち、取締役等による署名がなされているものなど、性質上紙ベースで保管しなければならないと解されるものを除き、全ての備置、保管書類は電磁的記録により保管することが可能です。
したがって、たとえば株主名簿(インド会社法150条)などは、必ずしも印刷して紙ベースで保管する必要はなく、電磁的記録としてパソコンその他の記録媒体中にデータ保管されていれば足ります。

1 会計帳簿(books of account)

会社は、その登記上の住所(registered office)に会計帳簿(books of account)を備え置く必要があります(インド会社法209条1項)。この会計帳簿には、以下の事項が記載されていなければなりません。
①会社が受領し、または支出した全ての金額、
②会社が売却または購入した全ての商品の金額
③会社の資産および負債
④会社が複数の事業を行っている場合、事業別の明細

会計帳簿はその関連書類とともに、少なくとも8年間保管されなければならず(209条4A項)、この義務に違反した場合、文書管理の責任者に対して6ヶ月以下の懲役または10000ルピー以下の罰金が課される可能性があります(同209条5項)。
会社登記局およびインド中央政府は、いつでもこれらの会計帳簿および関連書類を検査(inspection)することができるとされています(同209A条)。

2 各種議事録

会社は、その開催した株主総会、取締役会および取締役小委員会の議事録(minute)を、その登記上の住所において保管しなければなりません(インド会社法193条196条)。
保管期間について特に定めはなく、したがって、これらの議事録は、会社が存続する限り保管され続ける必要があります。
株主は、いつでも株主総会議事録を閲覧する権利を有していますが、取締役会議事録の閲覧は、必ずしも権利としては保障されていません(同196条)

3 その他備置すべき書類

その他、インド会社法上、会社の登記上の住所に備置すべき書類は以下のとおりです。
(条文リンクは省略しています)

書類の種類

保管期間

根拠条文

会社設立認証書(Certificate of Incorporation

無期限(会社が存続する限り)

34

35

営業開始証明書(Certificate of Commencement of Business)(公開会社のみ)

無期限(会社が存続する限り)

149

基本定款(Memorandum of Association

無期限(会社が存続する限り)

12

附属定款(Articles of Association

無期限(会社が存続する限り)

26

株主名簿(Register of Members

無期限(会社が存続する限り)

150

社債権者名簿(Register and Index of Debenture Holders

社債償還後15年間

152

(附属定款に基づいて外国で株主名簿または社債権者名簿を保管する場合の)外国名簿(Foreign Register

外国での保管をやめるときまで

157

自己証券の買取記録簿(Register of Securities Bought Back

無期限(会社が存続する限り)

77A

会社資産に対する課金記録簿(Register of Charges

無期限(会社が存続する限り)

143

貸借対照表(Balance Sheet)、損益計算書(Profit and Loss Statement)、取締役報告書(Director’s Report)および監査役報告書(Auditor’s Report

株主総会提出の日から8年間

209

年次報告書(Annual Return)および添付書類の写し

会社登記局提出日から8年間

159

会社名で保有しない株式または証券に対する会社の投資記録簿(Register of Investment

無期限(会社が存続する限り)

49

取締役の利益相反取引に係る契約の記録簿(Register of Contractrs

無期限(会社が存続する限り)

301

取締役、マネージング・ディレクター、マネージャーおよび会社秘書役名簿(Register of Directors, Managing Director, Manager and Secretary

無期限(会社が存続する限り)

303

取締役による会社の株式保有の記録簿(Register of Directors’ Shareholding

無期限(会社が存続する限り)

307

企業間融資及び投資の記録簿(Register of Inter-Corporate Loans and Investments

無期限(会社が存続する限り)

372A

合併書類および合併消滅会社の会計帳簿等(Documents relating to Amagmation and Amalgamated Company

中央政府による処分の許可が出るまで

396A

--

今回でインド会社法解説は完結の予定だったのですが、全体を読み返してみて、かなり重要な会社設立の際の取締役識別番号(DIN)取得の話と、利益配当についての解説が抜けていたので、次回にこれを補足で解説して一応完結ということにします。

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嬉しい週末

ムンバイを今月末で去るということで、先週から今週にかけて、送別会を開いていただいたり、宴席に呼んでいただいたり、お食事に誘われたりしています。

本当に本当にありがたく、嬉しいです。

6時間ほど前まで飲んでいたので、二日酔い気味ですが、今日はこの後テニスと野球に参加。

ムンバイに着てからほぼ毎週のように参加していたテニスも、おそらくこれが最後。
お世話になった皆さんとともに、楽しく球を追いかけてきたいと思います。

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佳境

インド滞在の残り期間が1週間となり、現在、各種論文の執筆が佳境を迎えています。

特に、インド会社法の解説書については、A4で150頁に迫る大作になってしまい、書いている本人が倒れそうです。

今週は更新がほとんどできませんでしたが、来週にはなんとかこのブログの会社法解説もいったん完結させたいと思います。

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インド会社法解説 訂正(株主総会特別決議の成立要件について)

インド会社法上の株主総会特別決議の成立要件について、ものすごい勘違いをしていましたので、ここに訂正します。

株主総会特別決議の成立要件は、「4分の3の賛成」ではなく、「4分の3以上の賛成」です。

厳密には、決議の成立要件は、「有効投票の4分の3以上の賛成」ではなく、「反対票の3倍を下回らない賛成票」であることです。

特別決議の成立要件について定める会社法189条2項の原文(抜粋)は、以下のとおりです。

“A resolution shall be a special resolution when (中略) the votes cast in favour of the resolution (whether on a show of hands, or on a poll, as the case may be) by members who, being entitled so to do, vote in person, or where proxies are allowed, by proxy, are not less than three times the number of the votes, if any, cast against the resolution by members so entitled and voting”

太字のとおり、反対票のnot less than three timesの賛成票(=賛成票が反対票の3倍未満でないこと)が、特別決議の成立要件ということで、4分の3自体はこれをみたしているため、「4分の3超」ではなく、「4分の3以上」となります。

細かい違いにも見えますが、会社の資本構成を検討するにあたって、「以上」なのか「超」なのかは、きわめて重要な相違であるため、重大なミスリーディングだったと言わざるをえません。

普通決議の成立要件は、「過半数(=半数)」の賛成、特別決議の成立要件は「4分の3以上」の賛成ということを、ここに再度確認しておきたいと思います。

--

上記私の根本的な勘違いに基づき、本ブログの会社法解説のほぼ全般にわたって、特別決議の要件が「4分の3超の賛成」と記載されていました。

本ブログの会社法解説中の記事は全て修正いたしましたが、これまで誤った情報を発信していたことをお詫びいたします。

ブログだけではなく、これまでに法律雑誌等に発表した論文(最新のものを含む)でも、全て特別決議の要件を「4分の3超の賛成」と(自信たっぷりに)記載してしまっており、痛恨の極みです。
全国に恥をさらしてしまいました…

中途半端に原文にあたったのが今回の失敗の原因だと思います。
外国の法律の原文に当たる場合、きちんと読み込まないといけないということを、あらためて痛感しました。

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オフ会っぽいもの

下の記事に書いたとおり、私は5月末に日本に帰国します。

ということで、日本において、多分最初で最後となるオフ会っぽいものを開催できればと思っています。

このブログを見てくださっている方で、

・インド法に興味のある方
・インド進出をお考えの方
・ムンバイその他インドでの生活に興味のある方
・「自分もインドへの赴任を控えています」という方
・インドが好きな方

その他、インドに興味はないけどなんとなく参加してみたい方、こちらまでご連絡ください。

日時は、今のところ、2008年6月6日(金)の夕方~夜を考えていますが、できるだけ参加希望者の方々のご都合を取り入れ、多くの方々が参加できる日にしたいと思っています。
また、場所は東京の港区か千代田区あたりを考えています。

当日は、午後5時、6時から1、2時間くらい、法律面から見たインドのビジネス事情その他の比較的真面目な話をして(といっても別に私が講演とかをするわけではなく、参加者間でざっくばらんに話をする感じですが)、その後晩飯でも食べながら、インドに興味を持つ者同士でフランクに話をするという感じの進行を考えています。

1人でも参加希望者がいれば開催させていただくつもりですので(参加希望者が1人だったら、私とサシ飲み確定ですが…)、どうぞお気軽にご参加ください。
日時や場所等は、確定次第、ご参加のご連絡をいただいた方全員に、私から連絡いたします。

なお、本会は、私が個人として開催するものであり、私の日本およびインドの所属事務所には一切関係ありません。
あくまでも、私およびこのブログを見てくださっている方の間の私的な交流会ということで、ゆるい感じで集まれればなあと思っています。

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帰国

私は5月末にてインド滞在の任期を終え、日本に帰国します。

様々な事情が絡み合って、この時期の帰国となったのですが、最大の理由の1つとして、今年の夏から米国の大学のロースクールに留学することが挙げられます。

正直言って、もう少しインド法を深く勉強したいという気持ちもあり、またこのタイミングで留学に行くことが自分の弁護士としての今後にとって良いことなのか、せっかく身につけさせてもらった知識、経験をインド進出を考える日本企業に還元すべきタイミングが遅れてしまうのではないかなど、色々と悩みはあったのですが、諸事情を考慮の上、結論として、現時点で帰国し、今年留学するという道を選ぶことにしました。

そのため、5月一杯は、「弁護士がつづるインドの法律事情とムンバイの生活事情」というテーマでこのブログを続ける予定ですが、それ以降については考え中です。

ただ、「テーマそのものを米国留学生活に変えて、このブログを続ける」ということはしないつもりです。
少なくとも私自身は、このブログの存在意義は、「インド」という国にフォーカスしている点にあると考えており、そこを変更してしまうとブログを存続させる意味そのものがなくなってしまうからです。
米国留学日記的なブログは、私以外にもたくさんの人が書かれていますし、あえてそこに私のものを付け加える必要もないでしょう。

ということで、6月以降は、ブログの更新をきっぱり停止するか、これまでと同じ形でムンバイの生活事情(の思い出)とインドの法律事情の紹介を続けていくかのどちらかにしたいと思います。

いずれにしても、残り2週間ほどの滞在期間、やり残しの無いよう、仕事はもちろんインド法の研究を進めたいと思います。
(ちなみに、私の後任として、私の日本の所属事務所から、日本人弁護士がデリーに赴任する予定です)

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北インド旅行記 -バラナシ・ブッダガヤ編①-

5月2日(金)

朝10時半の飛行機で、デリーからバラナシに移動し、バラナシ空港に到着。
飛行機には、欧米人観光客と思しき人たちがたくさん乗っていました。

Img_3045とても小さな空港で、見た目は貨物置場のようです。         

                                       

あらかじめピックアップサービスをお願いしていた車に乗り込み、宿に向かいます。
途中で車を降り、さらにオートリキシャに乗せられて、迷路のような路地をぐるぐると移動し、ようやく宿につきました。

バラナシの宿はこちら。
http://www.geocities.com/friendsguesthouse/varanasi

某ガイドブックにも載っている、かなり有名なバラナシでの日本人御用達のゲストハウスです。見た目もいかにも日本人宿という感じです(ちなみに、写っている男性はオーナーのRajajiさんです)。

Img_3053                                        

                                          

バラナシにはガート(Ghat)と呼ばれる沐浴場が何十も連なっているのですが、その中でもメインガートと呼ばれているのが、ダシャーシュワメード・ガート(Dashashwanedh Ghat)です。
今回の宿は、このガートから歩いて2分くらいのところにあり、とても便利です。

Img_3052

部屋から見えるガンジス河は、こんな感じです。      

                                            

Img_33005月の暑さを考えて、エアコン付の部屋をお願いしていたのですが、部屋にあったのはこれ(写真が少し見にくくなっていますが、左下の機械です)。                            

室外機がないエアコン??
下の部屋にいた日本人の人に聞いてみたところ、どうも、機械内部の水に向かって扇風機を回して、その気化熱で温度を下げる機械のようです。

…嫌な予感がします。

とりあえず試してみたものの、予想どおり全く涼しくなりません。

まあ、宿泊代が300ルピーということを考えると文句は言えません。
とりあえず一休みして、散歩に出ることに。

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10分で嫌気がさして、部屋に戻ってきました

とにかく町が汚い。

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噂には聞いていましたが、ここまでひどかったとは。
そこら中に、野良牛、野良犬、野良猫、野良ヤギがいて、しかも道路のいたるところに糞が落ちています。
人間も負けずにものすごい数がいて、街はゴミだらけ。
猛暑で増幅される動物の糞とゴミから出る悪臭。
バイクやオートリキシャが行き交うたびに舞いあがる大量の埃。

こういうカオスがいい、という人もいるんだろうなとは思いますが(だからこそ、日本人バックパッカーが大量にバラナシにやってくるのでしょう)、残念ながら私には無理なようです。

部屋に戻った後、ゲストハウスにあった時刻表で明日のブッダガヤ行きの電車の時刻を確認していたところ、オーナーから、「今日バラナシ駅に行って、電車のチケットを取っておいた方がいい」と勧められ、ガートを見る前にバラナシ駅に行くことに。

再度汚い路地裏を通り抜けて、駅に向かいます。
駅も人、人、人。
切符売場も、ものすごい人数が並んでいます。
床に寝転んでいる人もたくさんいました。

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窓口をたらいまわしされたり、意味不明な指示をされるなど、切符を買うまでにインド人の波に揉まれてたっぷり1時間近くかかり、疲労困憊。

いつも思うのですが、インド人は本当に過密に強い人種だと思います。日本人もかなり人間の過密状態には強い人種だと思うのですが、インド人はその遥か上を行く耐性を持っているように思います。

こういう「どこにいっても人間だらけ」という状況に耐えられるからこそ、これだけ人口が多いにもかかわらず、インドでは社会秩序が成り立っているのかもしれません。
過密に弱い欧米人あたりだと、日常生活レベルでこれだけ人と人との間の密度が高まってしまうと、心が殺伐としてしまい、暴動が頻繁に起こって社会の治安が保てないような気がします。

ようやく部屋に戻り、一休み。
駅に行ったのは往復時間も含めて2時間ちょっとのことなのに、ものすごく体力を消耗しました。

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夕刻になり、ガンジス河に向かいます。

ガートから見る夕刻のガンジス河は、素晴らしく雄大でした。

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Img_3067Img_3072           

                   

心のテーマソングは、もちろんこれ。

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ここが聖地ガンジス河か…と、感慨に浸っている暇もなく、大量のインド人が次から次に声をかけてきます。

1時間ちょっとガートを歩いていただけで、確実に100人以上には声をかけられました。
うち10人くらいは、「バラナシ、歯ブラシ、スバラシイ」と言って声をかけてきました。
かのドラマは、インド側でも有名になってしまっているようです。

誰が教えたのか、多くのインド人は片言の日本語で声をかけてきます。

「エハガキ、ヤスイヨ」とか。
「ボート、ノラナイ?」とか。
「カネクレ」とか。

頼むから、ゆっくり、心静かにガンジス河を見させてください…

教えた日本人を竹刀で殴りつけて反省させてやりたい言葉もたくさんかけられました(全部脈絡がなく意味不明)。

「ワタシハ、ニホンノソウリダイジンデス」とか。
「オマエ、オカマダロ」とか。
「オニーサン、チ○チ○、ミエテルヨ」とか。

いいかげんげんなりして、日本語で話しかけてくるインド人は片っ端から無視していたのですが、インド人の子供にすれ違いざまに、「ウワ、コノヒト、ユニクロノシャツナンテキテルヨ」とに言われたときは、なんだか無性に悲しくなりました。

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心を無にして、ガートを下流に向かって歩き、有名な火葬場のあるマニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)までやってきました。
6つほど設けられた火葬場に、人が次々と運び込まれ、ガンジス河に浸された後、燃やされていきます。
周囲は煙に包まれており、独特の雰囲気のある空間でした。

ここで荼毘に付され、遺灰がガンジス河に流されると、輪廻から解脱できると信じられており、インド国中から死期の近い人が集まってくる場所でもあります。
中には、そろそろ死期が近いかと思ってバラナシまで来たものの、思ったよりも自分の生命力が強く、死ぬ前にバラナシ滞在費用が尽きてしまって国元に帰っていったという、悲劇なんだか笑い話なんだかわからないような話もあります。

ここは近接しての写真撮影が禁止されています。
が、禁止されていなくとも、近接撮影は死者への冒涜であり、何か特別に伝えたいメッセージがない限りは、すべきではない行為でしょう。少なくとも、観光客が興味本位で写真を撮っていい場所ではないと思います。

と、しばらくガートで火葬場を眺めていると、例によってインド人が寄ってきました。

観光客は火葬場に近づいてはならないので、上にある建物の窓から見るように、とのこと。
これをすんなり信じるほどインド慣れしていないわけではありませんが、確かに上から俯瞰で見たほうがよく見えるかもしれないと思い、移動することに。

移動したから良いかと思っていたら、さっきのインド人がついてきて、頼みもしないのに説明を始めます。
目の前の光景を静かに見たかったので、「静かにしてくれ」と数回言ったのですが、説明をやめようとしません。しばらくは我慢していたのですが、厳かな光景を雑音でかき乱されることがたまらなくなり、「わかったから向こうに行ってくれ」と50ルピーほど渡したところ、あっさりどこかに行ってしまいました。

ようやく静かになり、しばらくの間、火葬場の様子を見続けました。
日本の火葬場では、棺を火葬機械に入れる場面と、火葬が終わって出てくる場面までの間に断絶があり、実際に燃えているところは遺族の目には触れません。
それに対して、目の前の光景は、まさに人間が燃えている場面がはっきりと見え、否応なく「死」が突きつけられます。
もしかしたら、日本の火葬システムは、遺族への配慮が嵩じて、遺族が故人の「死」を認識する最も重要なプロセスを省いてしまっているのかもしれません。

Img_3097

火葬場の裏には、火葬に使う薪が山と積まれていました。この薪はそこそこ高いそうで、遺族がこの薪を買えない場合、ガス火で火葬されるということもあるそうです。                

火葬場の緊張感に少し疲れたこともあり、ゲストハウスに戻ることにしました。

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明日は午前5時20分バラナシ発の電車に乗ってブッダガヤに向かいます。
朝4時半にオートリキシャのピックアップを依頼し、部屋の扉を開けました。

暑い…

部屋中に熱気がこもっています。
例のエアコンもどきを作動させましたが、まるで効果なし。

ベッドに横になったものの、マットレスが体温より暖かいとはなんとしたことか。
たっぷり熱気を吸ったマットレスが熱気を吐き出しており、電気毛布の上に横になっている気分です。

結局、この日は早めに横になったものの、あまりの暑さに朝までほとんど一睡もできませんでした。

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つづく

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インド会社法解説その26 -会社の清算③-

インド会社法原文リンク
http://www.vakilno1.com/bareacts/companiesact/companiesacts.htm

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今回は、純粋なインド会社法の問題というよりは、会社清算(=撤退に)ついての、インドの労働法および外国為替管理法上の障害について解説します。

会社清算は、それが裁判所清算であれ自主清算であれ、会社という事業体が消滅することを意味するため、それまでその会社で働いていた労働者は失職してしまいます。
インド法上、会社清算に伴う労働者の失職は、会社の側からの解雇とみなされており、したがって会社清算を行う場合、事前に労働者の解雇手続を行う必要があります。

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ここで「労働者」というのは、インド労働法上の「workman」の概念をいいます。
具体的には、1947年インド産業紛争法(Industrial Dispute Act, 1947)第2条により、「workman」は、
「手作業的、非熟練的もしくは熟練的、技術的、作業的、事務的または監督的業務のために雇用された雇用者をいう」
と定義されています。

ただし、
・経営的または管理者的立場(managerial or administrative capacity)にある者
・賃金月額が1600ルピーを超えており、かつ監督者的立場(supervisory)にある者
など、一定の者については、上記「workman」の定義から除外されます。

インドの労働法は、会社の従業員が、この「workman」に該当するか、該当しないか(該当しない者は、「non-workman」と呼ばれることがあります)を厳格に区別しており、前者についてはいわゆる労働者として法律上手厚い保護が与えられる反面、後者についてはほとんど保護が与えられません。

インド労働法の発想として、「workman」については、弱い立場にある労働者として保護すべきとされており、その反面として、「non-workman」については、会社と対等の当事者として、両者間の関係は契約法により規律されるべきとされています。

インド労働法上、会社は、「workman」に対して、賞与支給、退職金支払い、有給休暇の付与等を行うことが義務付けられていますが、「non-workman」については、それらを与えるかどうかは会社と「non-workman」の契約内容次第ということになります。
ただし、実務上は、「non-workman」に対しても、その会社で「workman」に対して与えられるのと同様の待遇をするのが一般的です(つまり、契約により、同じような待遇を合意するということです)。

そうすると、会社の立場から見ると、従業員が「workman」と「non-workman」のいずれにあたるのかの区別は非常に重要となるわけですが、この区別については、必ずしも明確ではありません。
上記「workman」から除外される者の要件のうち、「賃金月額が1600ルピー超」というのは明確な区別基準といえますが、「経営的または管理者的立場(managerial or administrative capacity)」や「監督者的立場(supervisory)」ということになると、その判断はケースバイケースで個別的に行わざるをえない面があるためです。

このあたりは、最近日本でも問題になっている「管理監督者」と通常の従業員の区別の問題に通じるところがあります。
ただ、日本の「管理監督者」の議論と決定的に異なるのは、日本の「管理監督者」は、基本的には労働基準法の保護が受けられるのに対し、インドで「non-workman」であるということになってしまうと、多くの労働関連法の保護対象そのものから外れてしまうという点です。

その意味で、インドにおける「workman」と「non-workman」の区別の問題は、日本の「管理監督者」への該当性への問題よりも深刻な問題であるといえるかもしれません。

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少し話がそれたので、本論に戻ります。

さて、上述のとおり、会社の清算は解雇を伴うため、会社は、「non-workman」との間で契約解除の個別交渉を行うとともに、1947年インド産業紛争法(Industrial Dispute Act, 1947)に基づいて「workman」の解雇手続を行う必要があります。

具体的には、会社清算に伴う解雇日の1ヶ月前までに、雇用している「workman」に対してその旨を予告するとともに、州政府に事前届出を行う必要があります。さらに、1年以上継続して勤務した「workman」に対しては勤続年数に15日分の賃金を乗じた補償金(1年目の給料の15日分+2年目の給料の15日分+3年目の給料の15日分…、という感じで加算して計算します)を支払う必要があります。

さらに、会社が、その事業所、工場等において100人以上の「workman」を雇用している場合、1947年インド産業紛争法(Industrial Dispute Act)上、事業廃止については州政府の事前認可が必要とされます。
「事前届出」ではなく「事前認可」が必要とされている点がポイントです。

さらに、州によっては、事業所、工場等の撤退について認可を必要とする独自の規制が課せられていて、このような場合には事業所、工場等の労働者の数にかかわらず、会社を清算、解散して事業を廃止するためには、州政府の事前認可を取得する必要があります。

で、問題は、州政府は、現地の雇用や税収入の確保の観点から、これらの認可を出すことに消極的であるというところです。
というか、はっきり言って、州政府は、よほどのことがないかぎりこの認可を出しません。

まあ、州政府の気持ちもわからなくはありません
外資系とはいえ、数百人規模で労働者を雇用している会社が、ある日突然清算で消滅してしまったら、雇用、税収という観点から州にダメージになるということは想像はできます。

が、その反面として、現地法人を設立したインド進出企業からすれば、100人以上の労働者を雇用した状態のままでは撤退ができないということで、いくら事業が赤字になっても事業を継続しなければならないという悪夢のような事態に陥ってしまいます。

そのため、実務上は、100人以上の労働者を雇用している現地法人を清算、撤退する場合、労働者の数が100人を割り込むまで、好条件を付した自主退職を募るとの方法が取られることが多いです。
要するに、退職ボーナスを多めに出して自主退職を募り、なんとか従業員数を100人未満にし、上記1947年インド産業紛争法の事前認可規制を回避するということです。

あるいは、会社清算ではなく、株式を合弁相手方その他に譲渡することにより、法人は存続させつつインドから撤退するという方法もあります。

いずれにしても、上記会社清算に伴う労働法上の規制はかなり重要ですので、留意しておく必要があるでしょう。

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労働法対応だけでも大変なのですが、さらに日本企業を含む外国会社の現地法人が清算、撤退を行う場合、インド外国為替管理法上の障害が立ちはだかります。

外国会社の現地法人の撤退の場合、現地の資産を全て処理した後に残る金額を、本国に送金する必要がありますが、この送金についてはインド準備銀行(RBI)の認可が必要となります。

問題は、このインド準備銀行の送金認可がなかなか得られないということ。
債務が残っている場合はもちろん、現地法人について訴訟が係属するなど紛争が生じている場合には、まず認可は出ません。
さらに、何の問題もなくても、送金額が大きい場合、「送金額が多額である」という事実そのものだけで、送金認可が出にくくなるということもあります。

もともと、インド政府の方針として、インド国内の資産の外国流出にはかなり神経質な規制が課せられているのですが、残金の本国送金も資産流出ということで、その金額が億単位である場合には、送金認可はきわめて慎重に出されます。
もちろん、配当の本国送金も資産流出なので、金額が大きい場合には、この送金認可の問題が出てきます(ただ、現時点では、ほぼ全ての日本企業はインド現地法人につき配当を出さずに、利益全額を再投資にまわしているため、あまり問題は表面化していません)。

「清算後残金については、もともと外国企業が外国からインド国内に投資したお金であって、インド固有の資産ではないじゃないか」という抗弁は、この国には通用しません。
基本的に、この国は、「いったん入ってきたお金は出さないよ」という思考方針で動いているため、外国送金の金額が大きければ大きいほど、認可の取得にはものすごい時間と労力が必要になります。

近年、日本側で、対外投資により外国で得た利益の日本還流を容易にする税制改正が提言されましたが、これで日本側の問題が解決するとしても、インド側の問題としてインドからの資金還流はとても難しいことを、インドに進出しようとする日本企業は留意しておく必要があるでしょう。
(ただ、あくまで現時点では、ということであり、10年後くらいには、インド政府の方針変更により、もっと簡単に外国送金、資金還流できるようになっているかもしれません)

いずれにしても、いったんインドに現地法人を設立してしまうと、会社法の問題だけでなく、労働法や外国為替管理法の観点からも、撤退は非常に難しいということを十分に留意しておく必要があると思います。
実際に、撤退許可がなかなか出ず、泣く泣く赤字事業を続けている日系その他外資系企業の噂もちらほらと耳にします。

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次回は会社備置書類の解説です。

この会社備置書類の解説で、インド会社法解説は一応完結ということにします。

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同時爆破テロ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080514-00000019-mai-int

<記事を一部抜粋>
インド・ラジャスタン州の州都ジャイプールで13日夜、路上の自動車などが次々に爆発した。地元警察によると、少なくとも80人が死亡、約200人が負傷。現場は赤砂岩の城壁が建ち並ぶ外国人観光客に人気の高い旧市街地で、爆発は約15分の間に7カ所で起きたらしい。
治安当局は同時爆破テロと断定、現場一帯を封鎖する一方、北東約260キロの首都ニューデリーなど近隣都市でも検問所を設ける厳戒態勢を敷いた。

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5月13日の出来事です。

ムンバイでは、2006年7月の列車爆破テロ以降、爆弾テロは起こっていないようですが、今後もいつターゲットにされるかわかりません。

強盗や傷害等の犯罪が少ないという点では、この街は治安はいいのですが、さすがにこういう爆弾テロが起こるとなると、安穏とはしていられません。
とはいえ、こういう意図的な無差別殺人に対しては事前の注意のしようがないので、特にこれまでと生活を変えることはありませんが。

現時点では犯人は不明なようですが、パキスタンのイスラム過激派の犯行とも言われています。
こういう事件が起きると、この国はあくまで現在「休戦中」というだけであるとの事実を再認識します。

無事日本に帰れるかなあ…

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インド会社法解説その25 -会社の清算②-

インド会社法原文リンク
http://www.vakilno1.com/bareacts/companiesact/companiesacts.htm

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今回は自主清算(voluntary winding up)の解説ですが、その前に1点訂正を。

前回、

「自主清算は、株主総会決議または債権者の申立てにより、会社が清算される場合の清算方法をいいます」

と解説しましたが、「または債権者の申立てにより」という部分は誤りでしたので、以下のとおり訂正します。
(なお、以下の訂正は既に前回の記事に反映されています)

自主清算(voluntary winding up)は、株主総会決議によって会社が清算される場合の清算方法をいいます。

債権者が、「自主清算」を申し立てるということはできません。

ではなぜ、前回、「債権者の申し立てによるものも自主清算に含まれる」という解説をしてしまったかというと」、"creditors' voluntary winding up”(インド会社法488条5項)という概念を勘違いしてしまったためです。

詳しくは、下の方で説明しますが、インド会社法上、自主清算(voluntary winding up)には、株主の自主清算(members' voluntary winding up)と、債権者の自主清算(creditors' voluntary winding up)の2種類があり、前者は、自主清算の際に会社がその債務を全て支払うことができる旨の宣言が行われた場合の自主清算の呼称、後者は、自主清算の際に会社がその債務を全て支払うことができる旨の宣言が行われなかった場合の自主清算の呼称となります。

株主の自主清算(members' voluntary winding up)と、債権者の自主清算(creditors' voluntary winding up)とでは、手続内容に一部相違があるのですが、清算開始の局面では、株主総会決議(それが普通決議であるにせよ、特別決議であるにせよ)から開始するということに変わりなく、債権者の申立てにより自主清算が開始するということはありません。

前回の解説は、"creditors' voluntary winding up"を、「債権者の申立てによる自主清算」と誤解してしまったことによるものであり、ここに訂正します。
大変失礼いたしました。

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インド会社法484条は、自主清算が行われる2つの場合を以下のとおり定めています。
①附属定款に会社の存続期間が規定されているときに当該期間を経過した場合に、またはその他附属定款に規定されている解散事由に該当した場合に、会社が株主総会普通決議により自主清算を行うことを決定したとき(同484条1項(a)
②会社が株主総会特別決議(4分の3以上の賛成)により、自主清算を行うことを決定したとき(484条1項(b))

これらの株主総会決議が行われたと同時に自主清算は開始します(同486条)。
自主清算開始後は、会社は原則として全ての事業を停止する必要がありますが、自主清算が完了するまでは権利義務の主体となることができます(同487条)。

株主総会に自主清算議案が提案されるにあたっては、取締役会(取締役が1人の場合、当該取締役)は、宣誓書(affidavit)により、会社に債務が存在しないことまたは取締役が当該宣言において定める一定期間内(ただし、清算手続開始後3年以内である必要がある)に、全ての債務を弁済できる見込みであることの宣言(以下、説明の便宜上、「債務弁済見込宣言」といいます)を、裁判所において行うことができます(同488条1項)。

債務弁済見込宣言は、自主清算の株主総会決議の日に先立つ5週間以内に行われる必要があり、このこの期間よりも前あるいは後になされた債務弁済宣言は無効となります(488条2項(a))。

また、債務弁済見込宣言を行うにあたっては、上記宣誓書のほか、以下の書類が揃っている必要があります(488条2項(b))。

①監査済みの、前期末から債務弁済見込宣言前の一定の日までの損益計算書および当該一定の日時点での貸借対照表(「債務弁済宣言前の一定の日」とは、実務的に可能な限り債務弁済見込宣言に近い日をいいます)
②債務弁済見込宣言日時点での、資産および負債の明細書(statement)
③①および②についての監査報告書

取締役会は、宣言後、上記宣誓書および添付書類を、会社登記局(Registrar of Company)に提出します。

後述のとおり、債務弁済見込宣言がなされているかどうかにより、自主清算の方式が株主の自主清算(members' voluntary winding up)となるか債権者の自主清算(creditors' voluntary winding up)となるかが定まり、その後の手続に相違が生じます。
(前者の場合、株主の意思に従って比較的自由に自主清算を進められるのに対し、後者の場合、債権者の意思が重視されることから債権者集会における意思決定等の手続が多く必要とされます)。

そのため、取締役会が債務弁済見込宣言を合理的な根拠なく行った場合について、6ヶ月以下の懲役もしくは5万ルピー以下の罰金または両者の併科が罰則として定められています(同488条3項)。
さらに、「合理的な根拠の有無」については推定規定が存在し、債務弁済見込宣言から5週間以内に自主清算の株主総会決議が行われたものの、債務弁済見込宣言において定められた期間内に弁済が行われなかった場合には、債務弁済見込宣言は合理的な根拠なく行われたものと推定されます(同条4項)。

これは、事実上、期間内に債務弁済が完了しなかったことについての結果責任を問うものであることから、債務弁済見込宣言を行う場合、同宣言の期間内に債務を確実に弁済できるかどうか、十分に検討する必要があります。

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債務弁済見込宣言が行われた上で、株主総会決議により自主清算が開始した場合には、その自主清算は、インド会社法上、株主の自主清算(members' voluntary winding up)と呼ばれます。
一方、宣言が行われずに、株主総会決議により自主清算が開始した場合には、その自主清算は、インド会社法上、債権者の自主清算(creditors' voluntary winding up)と呼ばれます(同488条5項)。

株主の自主清算の手続は、インド会社法489条から498条まで、債権者の自主清算の手続きは、同法499条から509条までに規定されており、両者の手続は勿論異なるのですが、いずれも比較的細かい手続き上の相違であることもあり、以下では必要な場合を除いて特に区別をせずに解説することにします。

いずれにしても、自主清算の株主総会決議が行われた場合、自主清算を決議した株主総会の議事録は、会社登記局に提出されるとともに、新聞紙面上で公告される必要があります。

株主の自主清算の場合、清算人(liquidator)は、株主総会決議により選任され、報酬額も同時に定められます(同490条)。この決議は、自主清算の株主総会決議と同時に行われるのが通常です。
一方、債権者の自主清算の場合、清算人は、債権者集会および株主総会の双方で選任される必要があります。債権者集会と株主総会が、異なる人物を選任した場合、債権者集会の選任が優先されます(同502条)。

会社は、清算人の選任後、会社登記局に対して、選任した清算人について報告する必要があり、また新聞紙上に清算人の選任を公告する必要があります。これらの報告、選任公告は、上記自主清算決議の報告、公告と同じ機会に行われるのが通常です。

清算人は、会社の全ての資産を売却の上、負債の全てを弁済し、かつ資本金の返還を行います。さらに余剰金がある場合、出資比率に応じて株主に分配します(同510条から512条まで)。

株主の自主清算の場合、清算人は、必要に応じて債権者集会や株主総会を招集、開催することができます(同495条496条)。
一方、債権者の自主清算の場合、清算人は、必ず債権者集会を召集する必要があります(同500条)。

会社の資産が負債および資本を弁済するに満たない場合、一定の優先債権から弁済が行われます。
具体的には、税金、労働者への賃金などに優先弁済権が認められます(同530条)。
さらに、資本についても、優先株式には優先返還がなされるなど、一定の順位に従って変換が行われます。

清算人は、全ての清算行為(資産売却、負債弁済、資本返還、余剰金分配)を終えると、最終の株主総会(final meeting)を召集、開催します(同497条509条)。
最終株主総会は、清算人による清算過程の説明を目的として開催されます(同497条1項、509条1項)。
この最終株主総会の議事録は、自主清算を決定した株主総会の議事録と同様、会社登記局に提出されるとともに、新聞紙上で公告される必要があります。

さらに、最終株主総会の終了後、清算人は、自主清算に関する報告書を、裁判所の選任する公共清算人(official liquidator)に対して提出し、公共清算人はその精査を行います。精査の結果、当該会社清算が、債権者や出資者の利益あるいは公共の利害に反すると認められた場合、公共清算人は裁判所(内国会社法裁定所の施行後は内国会社法裁定所)に対してその旨報告し、その報告に対する裁判所の審査が終了するまでは、会社の清算結了は認められません(497条6項以下、509条6項以下)。

公共清算人の精査の結果、特に問題がないと認められた場合、清算人は最終株主総会の議事録を会社登記局に提出します。
この時点で清算手続きは全て完了し、会社は法的に存在しなくなります。

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以上を踏まえて、自主清算(株主の自主清算の場合)のモデル手順をまとめると、

1 自主清算を決議する臨時株主総会の日を定め、その日から遡って5週間以内に、債務不存在または債務弁済見込宣言を行えるよう、添付書類の準備も含めて、取締役会において準備する。

この場合において、添付書類には、
①監査済みの、前期末から債務弁済見込宣言前の一定の日までの損益計算書および当該一定の日時点での貸借対照表(「債務弁済見込宣言前の一定の日」とは、実務的に可能な限り債務弁済見込宣言に近い日をいう)
②債務弁済見込宣言日時点での、資産および負債の明細書(statement)
③①および②についての監査報告書
が含まれるため、監査に必要な時間も考慮して、「債務弁済見込宣言前の一定の日」を定める必要がある。

2 取締役会で、会社の自主清算を行うこと、債務不存在または債務弁済見込宣言を行うこと、自主清算を決議すべく臨時株主総会を開催することを決議する。

3 取締役が、宣誓書を作成し、添付書類とともに、裁判所において債務不存在または債務弁済見込宣言を行う。宣誓書および添付書類は、会社登記局に提出する。

4 同宣言の日から5週間以内に臨時株主総会を開催し、自主清算を決議する。同時に、清算人を選任する。株主総会議事録は会社登記局に提出するとともに、新聞紙上で公告する。

5 清算人が、資産売却、負債弁済、資本返還、余剰金分配等の清算行為を行う。

6 清算完了後、最終株主総会を招集、開催し、自主清算の過程を説明する。また、清算人は、自主清算に関する報告書を、裁判所の選任する公共清算人(official liquidator)に対して提出し、公共清算人はその精査を行う。

7 精査の結果、問題がなかった場合、清算人は最終株主総会の議事録を会社登記局に提出する。

※なお、5以下の手続きについては、裁判所清算(winding up under the order of the court)もこれとほとんど同じとなります。

自主清算に関するその他の細かい手続については、インド会社法484条から560条までをご参照ください。

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今回は少し長くなってしまいました。

次回に会社清算に伴う諸問題をいくつか取り上げ、会社清算関係の解説を終了したいと思います。

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外資規制緩和の施行

関連記事

インド外資規制解説その16 -外資規制緩和-

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上記記事で紹介した、外資規制の緩和は、2008年3月12日に施行されています。
具体的には、同日に、プレスノート2008年1号から6号までが同時に発行され、各プレスノートにおいて、上記緩和方針に沿った外資規制の緩和が通達されています。

詳細は、以下のサイトにて、プレスノート2008年1号から6号の原文をご参照ください。http://siadipp.nic.in/policy/changes.htm

今回の緩和は、民間航空事業、石油・天然ガス事業といった、比較的現在インドで日本企業がかかわっていない(あるいはかかわろうとしていない)分野についての緩和であったため、今回の規制緩和が日本企業による対印投資に大きな影響を及ぼすということはないと思われます。

ご参考までに、上記外資規制緩和を「訳注」として組み込んだプレスノート2006年第4号別紙の和訳を以下に掲載します。
今回のバージョンでは、前回掲載したバージョンにおいて和訳が間違っていたところをいくつか修正したりもしています。

「200642008pn16.doc」をダウンロード

※プレスノート2006年第4号の原文はこちら

「press_note_2006_no4.pdf」をダウンロード

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繰り返しになりますが、和訳にあたっては細心の注意を払っているものの、あくまでも私的な和訳であるため、何かのご参考にされる際は必ず原文もご参照ください。

また、「プレスノートとは何か」とか、「このプレスノート別紙の表はどのように読むのか」等については、「国際商事法務」の2008年2月号(Vol.36 No.2)および3月号 (Vol.36 No.3)の解説記事をお読みください。

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外国直接投資に関するMaster Circular和訳

以前、こういうことを書いたわけですが、その後、某政府系貿易振興機構が和訳の予算を取ってくれ、外国直接投資に関するMaster Circular(2007年7月版)の和訳が完成しました。

とりあえず、「絶対作ってくれないでしょうが」などと言った不明をお詫びしたいと思います。

和訳は追って某機構から公表されることと思われますが、インドの外資規制全般の基本情報ソースとなる資料の日本語訳ですので、プレスノート2006年4号の和訳と並んで利用価値は高いと思います。

ただし、もう数ヶ月したら、2008年版が出るため、利用にあたってはそちらとの突合せが必要となるかもしれません。
もう少し早く和訳が完成すれば、2008年版が出るまでの有効期間も長くなったのでしょうが、原文が90頁近かったため、相当の時間がかかってしまいました。

ちなみに、和訳したのは私の所属事務所(私が和訳全般をチェックしています)なので、あまり粗は探さないでください…

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辞任の理由

去年9月の安倍首相(本来「前首相」と呼ぶべきでしょうが、首相当時の状況をテーマとしていることから、以下「首相」で通します)の電撃辞任。

日本中が仰天したと聞いています(当時、既にインドに来ていたので、日本国内の正確な雰囲気はわかりませんでしたが)。

理由はいろいろ言われていますが、辞任表明直後から、「胃腸機能異常」を理由に長期にわたって入院していることを見ても、消化器官の衰弱とそれに伴う体力の低下が続投の気力を削いだことは間違いないでしょう。
安倍首相自身も、2007年9月24日の記者会見で、「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と述べています。

さて、ここで見逃せないのが、辞任直前の首相の動向。

安倍首相は、2007年8月19日から8月25日まで、インドネシア、インド、マレーシアの3ヶ国を訪問しています。

辞任後に出た内情暴露本によれば、

もともと食欲の衰えなど体調不良を訴えていたが、8月19日から8月25日のインドネシア、インド、マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状が悪化した

とのこと(「初めて明かす『安倍辞任』の真相」 安倍昭恵 『週刊新潮』53巻1号、新潮社、2008年1月3・10日、29頁参照)。

(既に誰かが唱えたのと同じかもしれませんが)私なりに辞任原因を推理したいと思います。

安倍首相の辞任の原因はカレーである

カレーはスパイスの塊なので、スパイスに慣れていない日本人が、胃腸が弱っているときに食べると、確実に症状を悪化させます。
もちろん、スパイスの中には漢方薬と同じものも含まれており、基本的に健康に悪いものではないのですが、それでも体調を崩しているときにカレーを食べると、スパイスの中でも刺激的なもの(唐辛子など)が、胃腸にダメージを与えてしまうのです。

嘘だと思ったら、胃が痛いときやお腹を壊し気味のときに、カレーを食べてみてください。

私自身も、インドに来た直後、カレーばかり食べて(あらゆる食事がカレー味で、他に食べるものがなかった)、見事にお腹を壊しています。
このときは、食事からカレーの頻度を減らすまで症状が続きました。

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さて、安倍首相。

当時は日本国の首相だったわけで、訪問したインドネシア、インド、マレーシアの3カ国では、国賓の待遇を受けたはずです。
午餐会、晩餐会も多数催され、当地の最高の料理が供されたはずです。

「当地の最高の料理」とは、もちろん「カレー味の何か」です。

これら3ヶ国は、いずれも食習慣として、調味料としてスパイスを用います。
スパイスに慣れている人にとっては、違うスパイスを使えば違う味、ということになるわけですが、スパイスに慣れていない人(たとえば日本人)にとっては、出てくる料理出てくる料理全てカレー味、ということになってしまいます。
このあたりについては、こちらの記事も参照。

平たく言えば、インド人(あるいはインドネシア人、マレーシア人)にとって、カレーとは料理の名称ではなく、調味料の名称なのです。
日本人がなんでもかんでも醤油と味噌で味付けするのと同じように、彼らはなんでもかんでもカレー(を構成するスパイス)で味付けするのです。

ちなみに、舌の構造が違うのか、インド人その他が普通に食べているカレーは、通常の日本人にとっては激辛です。

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3ヶ国は、「アジアで巨大な影響を持つ日本国」のプライムミニスターに対し、当地最高の伝統料理(=カレー味の何か)を、午餐会および晩餐会でふるまったはずです。

想像してみてください。

ただでさえ、激務やストレスで胃腸が弱っているときに、激辛カレーを昼夜食べさせられる毎日を。

「国賓としての歓待」という背景から、カレーに手をつけなかったり、カレーを残すことができない毎日を。(残すのはともかく、供された食事に全く手をつけないのは、歓待してくれている相手に対して失礼と受け取られる可能性があり、常にある程度は食べざるをえなかったのではないかと推測します)

安倍首相が3ヶ国を回ったのは、8月19日から8月25日。

彼は、丸々1週間、弱った胃腸を抱えてカレーを食べ続けていたわけです。

で、その結果が、↓

「3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状が悪化した」

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インド在住日本人の1人として、そして同じ体験をした者の1人として、あえて言わせていただきます。

安倍首相、あなたは悪くない、と

むしろ、入院するまでよく頑張りました、と。

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ちなみに、今頃こういうことを書いたのは、外務省の友人を経由して、上記の説の信憑性がある程度裏付けられたからだったりします。
晩餐会、相当おつらそうだったとか。

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北インド旅行記 -デリー・アグラ編②-

門をくぐってしばらく歩くと、タージ・マハルの正門が見えてきました。
ガイドブックによると、最初に入った門は東門ということで、こちらがタージマハルに繋がる正門であるとのことです。

Img_2954Img_2955Img_2957 

                        

門をくぐると…
見えました、タージ・マハル。
門の前は観光客でごったがえしています。

Img_2959

                                     

                                            

Img_2961正門からは少し距離があるため、前庭を歩いてタージ・マハルに向かいます。

                                 
時刻は午後1時。
暑さが半端ではありません。
正門からタージ・マハルまでは見た目よりも結構離れているため、庭を歩くだけで汗が吹き出てきます。

ようやく着きました。

でけえ。

Img_2968

Img_2971                          

                             

とにかく巨大。
写真で、建物と人間の大きさを比べるとわかりますが、ものすごい大きさです。
これが全部白い大理石で作られているというあたり、さすが建築により国家財政が傾いたというだけのことはあります。

入口で靴カバーをサンダルの上から履きます(ADAチケットと一緒にもらった靴カバーはここで使うようです)。
タージ・マハルとその周辺が砂だらけにならないようにする工夫でしょう。

Img_2975Img_2992近くで見るタージ・マハルは圧倒的な質感です。さすがインドで最も有名な観光地になるだけのことはあります。        

                                    

                                        

     
Img_2980宮殿ではなくお墓というだけあって、中は意外に狭く、王とその愛妃の墓所以外には、部屋がいくつかあるだけでした。

                                

Img_2981部屋も薄暗く、なんというか、人間の匂いがしません。

                                             

やはり、これは建物ではなく巨大な墓標であって、墓標の中にいくつか空間を作ったということなのでしょう。

Img_2982タージ・マハルの裏にはヤムナー河が広がっており、素晴らしい眺めです。

                                   

周辺には左右対称の別廟もあり、ここも見てみたかったのですが、あまりにも暑くて観光意欲が減退してしまったため、とりあえずタージ・マハルから出て、エアコンの効いた店で昼食を食べることに。

どれくらい暑いって、前日飛行機でムンバイからデリーに移動し、自動車をチャーターして(けっこうな金額がかかります)、朝から車で片道4時間半かけて来たにもかかわらず、「もういいから涼しいところで休ませて」と思ってしまうくらいの暑さをご想像ください。

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来たときと同じ道のりを戻り、車に戻ったときには既にフラフラでした。
今思えば、軽い熱中症だったのかもしれません。

とりあえず、近くのホテルThe Oberoi AMARVILASに移動。

Img_3002

ここは、タージ・マハルに至近で、しかもOberoiグループのホテルであるにもかかわらず、日本の著名なガイドブックには載っていないという穴場です。           

http://www.amarvilas.com/index.asp?leftinfo=1&leftitem=1

Img_3003

庭からはタージ・マハルが望めます。                                

                                       

Img_3007入り口から1階降りたところにレストランがあり、窓から庭を眺めつつ、ゆっくりご飯を食べました。エアコンが良く効いており、とても快適です。料理の味も良し。                         

ここの唯一にして最大の難点は、値段がべらぼうに高いこと
スープとリゾットだけで、1800ルピー(約5000円)もしました…

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昼食後、アグラのもう1つの観光名所であるアグラ城(Agra Fort)に移動。

こちらは正真正銘のお城(というか要塞)で、アグラ地方の領主が使っていたお城の城跡です。
重厚感のある赤茶色の壁が、いかにも実用の城という雰囲気を出しています。
こちらも、タージ・マハルと同じく世界遺産に指定されています。

Img_3008Img_3009                     

                                

例によって外国人料金を払った後、中に入ります。

Img_3037 入口では、猿がお出迎え。              

                                          

壁に沿ってしばらく歩いていくと、城の裏庭に出ました。
ここからはヤムナー河とそのほとりのタージ・マハルが一望できます。

Img_3024

                                      

                                             

しばらく城内を回った後、例によって暑さで体力が消耗してきたため、早めに車に戻ることに。
午後4時前という時間もあり、もう1箇所くらい回るかどうか迷ったのですが、とりあえず見たかったものは全て見たということ、帰るのにもまた4時間かかることから、デリーに戻ることにしました。

デリーに到着したのは午後8時。
この日は某経済誌の編集者と某大学の教授が同じ宿に泊まっており、インド話に花を咲かせました。

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バラナシ・ブッダガヤ編につづく。

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北インド旅行記 -デリー・アグラ編①-

4月30日(水)

少し早めに仕事を上がって家に戻り、旅行の荷造りをした後、空港に移動。
午後8時のJET Airlineでデリーに向かいます。

デリーのお宿はこちら↓
http://sapna.exblog.jp/i4

日本人出張者を中心に、知る人ぞ知る宿で、日本人女性がお1人で経営されています。
街の中心部からは少し離れていますが、部屋は清潔で、周囲の環境も良いです。希望すれば、日本食の朝食も食べることも可能です。また、日本人の経営ということで、全体のセンスが日本人に合っており、とても快適に過ごせます。

なにより、昨今の異常なホテル価格の高騰の中で、このクオリティーで1泊2500ルピーというのは非常にありがたい。
デリーで下手にこのくらいの値段のホテルに泊まってしまうと、お湯が出ないとかベッドが砂だらけとかはザラにあることを思えば、格安といっていいと思います。
(※インドの都市部では、ここ1、2年でホテルの宿泊代が2倍を超えて上昇しており、シャワーで水しかでないようなホテルでも、平気で1泊1万円(相当ルピー)以上の値段を設定していたりするため、宿泊代とホテルの質が全く釣り合わないという状況になっています。)

中に入ると犬が出迎えてくれます。

Img_2945                               

                                       

 

到着したのが午後11時を過ぎていたため、この日はさっさと寝てしまいました。

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5月1日(木)

車をチャーターして日帰りでアグラに行き、タージ・マハルとアグラ城(Agra Fort)を観光する予定だったのですが、なぜか以前からお願いしていた運転手(個人で車を持って運転手業をしている人)に電話が繋がりません。
2日前に電話したときには、ピックアップの時間はもちろん、料金まで合意していたのに…

まあしょうがないですね、インドだから

結局、諦めてB&Bのご主人にお願いして車をアレンジしてもらうことに。
料金は個人で合意していたときよりもかなり高くなってしまいましたが、この際やむをえません。

朝6時半に起きて準備をしていたのですが、このトラブルで結局アグラに向けて出発したのは8時過ぎくらいでした。

エアコン付の車をチャーターしたので、道中はなかなか快適。
今週は仕事が忙しく疲れていたこともあり、ひたすら横になって寝ていました。

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4時間後、ようやくアグラ市内に到着。
予想より少し時間がかかりましたが、まあ片道230キロという距離を考えたらこんなものでしょう。

それからさらに30分ほど市内を移動し、ようやくタージ・マハルに到着しました。
タージ・マハルの入口から約1キロメートルは自動車進入禁止になっており、手前の駐車場で車から降ります。

暑い…

それもそのはず、アグラはデリーと同じく内陸ど真ん中。
確か気温は45度近いはずです。
おまけに、日差しがものすごくきつく、立っているだけで汗が噴き出してきます。

最初は1キロくらいだったら歩けるか、と思っていたのですが、あまりの暑さに断念。
諦めて、サイクルリキシャに乗りました。

Img_2952こんなに暑い中、人1人を後ろに乗せて坂道を自転車で駆け上がっていくのは大変な重労働だと思います。

                                      

                                     

                             

10分ほど揺られた後、ようやくタージ・マハルの入り口に到着しました。

Img_2953                                      

                                              

チケット売場では、当然のごとく外国人料金が設定されており、入場料が250ルピー、ADAと呼ばれる外国人だけ買わなければならない何だかよくわからないチケット(一応、遺跡保存等のために使用されると説明されています)が500ルピーの、合計750ルピー

インド人の入場料は20ルピーなので、外国人は実に37.5倍の料金を払わされます。

ここまでくると、この国は、官も民も外国人からぼったくるのが国是であると思わざるをえません。
750ルピーといえば約2000円で、(物価のレベルがぜんぜん違う)日本国内にだってこんな高額の入場料を取る観光名所は少ないでしょう。
実際、この料金を見て、タージ・マハル観光を諦める外国人バックパッカーも後を絶たないとか。

そういえば、この国には、直接投資でも外資に対する優遇措置は全くありません。
むしろ、外国会社の現地法人や支店には、訳のわからない理由を掲げて理不尽な課税をしたりします。また、いったん設立した現地法人や支店を閉鎖するのにも、ものすごい制限が課されており、撤退も非常に難しい国です。
つまり、外国人、外国資本については、「もらうものはもらう。優遇は一切しない。資本の引き上げは簡単には認めない」というのがこの国の基本方針ということで、私のような立場の人間が言うのもなんですが、日本企業の皆さんには、本当にこういう国に投資していいのか十分にご検討いただいた方がいいと思います。

ちなみに、500ルピーもするADAには、一応水と靴カバーがおまけで付いてきます。
が、水は生ぬるく(しかも500ml)、靴カバーもスーパーの袋みたいな代物です。

Img_3040ADAチケットの裏に、「水と靴カバーをタダであげるよ!」と強調して書いているあたり、火に油を注ぐというか。
それでもまあ、全く何もないよりはマシなんでしょうけど。          

ひとしきり腹を立て終わったところで、門からタージ・マハルの敷地に入ります。

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つづく

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帰宅

日曜日の昼過ぎには家に戻っていたのですが、高熱を出してダウンしていました。

原因はたぶん旅疲れ(結構ハードなスケジュールだった)ですが、なぜかガンジス河に入ったことが原因であるような気がしてやみません

ということで、ようやく熱も下がったので、旅日記をアップしてみたいと思います。

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